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啓蒙哲学について

 啓蒙哲学は主体的能動的自由市民からなる近代市民社会を前提としていた。ここでは行動・思想に責任が伴うので、自我が傷つくことがあった。
 また、このころの目的論的世界観は、目的を見いだせないとき、「なんの光もなく、ひとり置き去りにされ、宇宙のこの一隅にさまよっているかのように、誰が自分をそこに置いたか、何をしにそこに来たのか、死んだらどうなるかをも知らず、あらゆる認識を奪われているのを見るとき」のように「眠っているあいだに荒れ果てた恐ろしい島につれてこられ、さめてみると自分がどこにいるのか分からず、そこから逃れる手段も知らない人のような恐怖に襲われるので、宇宙は偶然に満ちていて目的はないという機械論的世界観を促した。
 このような啓蒙主義の過激化は、一方で反動を形成し、中世封建主義社会に価値を見出す懐古趣味的なロマン主義哲学も生み出し、両者はヘーゲルにおいて統合された。


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