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ブログ 2011年4月アーカイブ

なんだかんだで

「青い空がちゃんと青くまた見えるようになるまで
あともう少し、もう少しなの
そしたらどこへも行ける
しょうがないことや解らないことは 消しても消しても溢れ出す
泣きたくなったら苦い薬みたいに swallow, swallow 飲み込んで
 

忘れることができないのなら せめて今は深呼吸して
涙のつぶは苦い薬みたいに swallow, swallow 飲みこんでしまおう」
(「swallow」古内東子)

 

いつも本を読んだり音楽を聴いたりしているときに思いついたことを書くかんじでやっているこのブログですが、3・11以後の自粛ムードのせいかしらん、読書を自粛し、音楽を自粛し、風呂に入るのを自粛し、靴下をはくのを自粛しているうち、あまり更新することもないまま桜の季節も過ぎ、5月も目前になってしまいました。
 

新宿の駅前では、「僕らは歌うことしかできません」といって路上ライブをしている人たちがいて、インターネットでは「私たちはマーケッティングしかできません」といってアンケート調査をしている楽天リサーチのメールが流れ、僕に何ができるだろうと考えていると、そうだ、僕には人を訴えることしかできないと思い至り、たまっていた訴状の起案をせっせとこなしていました。
 

海外在住の古い友人のブログ上で、原発について議論したり、福島に行ったりもしたけれど、僕は日本は大丈夫だなって楽観的に思っています。
津波の犠牲者は行方不明者あわせて2万7000人なのに対し原発の犠牲者はゼロ(避難所で亡くなったかかたを除く。)。福島で行った避難所はビックパレットというところなのだけれども、プライバシーもくそもないダンボールでかこった区画にただ寝るだけの生活は、快適ではけしてないかもしれないけれど、誰かが引き受けなければ日本の電力供給は破たんしてしまうから、やむをえないように思った。
僕の法律相談は1時から4時の3時間だけで、しかも義援金の配分開始の日とかさなったため、みんな義援金の方に目が向いて、相談らしい相談はあまりなかったな。義援金給付の申込書の代書の依頼なんかがありましたが。
ビックパレットの中は、まさに被災地から着のみ着のまま逃げてきた感があふれているのだけれど、ひとたびビックパレットから外に出ると、まったく普通の状態。
事前の研修では情報不足が指摘されていたけれども、掲示板には整理しきれないくらいに情報があふれており、相談に来た方の方が市町村独自の支援策を知っていたりして、こっちが逆に教わる立場。
弁護士いらんな、と正直思いました。
 

ただ、生活していくにはお金が必要なわけで、ビックパレットの中にある飲み物の自動販売機も、当然、お金を入れないとお茶は出てこない。
当面の生活費を確保するために、郡山市(ビックパレットがあるところ)の福祉事務所に生活保護を申請し、転宅費を受給して仮設住宅での生活に必要な最低限の家具をそろえるなどの支援をすることこそ弁護士の役割だと思うのですが、昼行って夕方帰って来るようじゃそんなことできないし、しかも、受任の必要があれば福島県弁護士会の弁護士に回すというしばりがあり、よその組のシマを荒らすと大変なことになることを数年前に身をもって感じている僕はここでしゃしゃり出る気もせず、被災地支援からは退散かな。


あ、そうそう、日弁連から、日弁連が集めた義援金の使い道が報告されました。3分の1が日本赤十字に・・・これはよかろう。でもね、3分の1を日弁連の災害対策支援事業に、3分の1を被災地弁護士会に寄付って、なんじゃそりゃ?寄付が弁護士の収入になるわけで、寄付金控除の対象にならない弁護士会への義援金を出さなくて本当に良かったと思うとともに、弁護士会は本当にバカの集まりだと心の底から思ったのでした。


「カバーズ」

「暑い夏がそこまで来てる
みんなが海へくり出していく
人気のない所で泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ、何のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
 

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ、誰のため?
狭い日本のサマータイム・ブルース
 

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い 
それでもテレビは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ
これが最後のサマータイム・ブルース
 

あくせく稼いで税金取られ
たまのバカンス田舎へ行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえ内に漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース
 

電力は余ってる、
要らねえ、もう要らねえ
 

電力は余ってる、
要らねえ、欲しくない
 

原子力は要らねえ、
危ねえ、欲しくない
 

要らねえ、要らねえ、欲しくない
要らねえ、要らねえ、
 

電力は余っているよ
要らねえ、危ねえ、」
(「サマータイム・ブルース」RCサクセション)

 

忌野清志郎の原子力批判の歌詞をのせたカバーアルバム「カバーズ」が所属レーベルの東芝EMIから発売禁止になったというエピソード、あったあった、そういうの。
インターネットで聴けるようなので、上記をクリックしてちょっと聴いてみてください。著作権は問題ないのだろうか・・・ま、いっか、もともと歌詞を引用するのだって問題だしな。
 

1988年というと僕は中学3年で、公民の先生が授業のたびにいつも朝日新聞を読んでは左に僕らを誘導していた年だ。素直な僕は原子力発電所と自衛隊はあってはいけないものだと素直に思いこんで自民支持をこぼした英語教師といかに共産党を支持すべきか議論し、計算高い優等生たちは原子力発電所と自衛隊は問題のある存在だと答案に書かないと公民はいい点数がもらえないと読んで、結局みんな中間と期末ではいずれも左派的な答案を書いていた。
 

しかし僕が進学した大学は「官僚養成学校(当時)」。
政治学でも法学でも、「バランス」という言葉が金科玉条のごとく・・・いや、金科玉条そのものであった。そしてバランスのとりかたを講義を受け、練習していくうちに、
どんなに左の人でも右を向くように育てられていった(だってそうでしょ、学生時代公安に目をつけられていた人だって、弁護士になったら現行法的に筋の通った主張しかしなくなるもの。)。
 

今日福島第一原発の事象がレベル7に引き上げられたけれども、中学生のときのような、「原発反対」という社会派に転じる素直さは失ってしまったようだ。
日本の原発依存率は約3割と決して高くないし、原発もたくさんある割にはしょっちゅう点検作業で止まってて実働はもっと少ないから、脱原子力ということも不可能ではないのかもしれないけれども、石炭や石油を燃やして発電するのが地球に優しいか、石油の供給は持続的に可能かというとはてなマークがつくような気がする。
だいたい、JCOの臨界事故だって濃縮ウランをバケツで混ぜていたっていう、おいおいっていうところから起きた事故だし、今回だって東電のラインはみんな文系で現場のこと分かっていなかったから対応が後手後手になったのだというから、安全対策の補強は急務だと思うのだけれども、そのためには技術としての原子力を否定するよりも、技術者を育てて技術を高めて技術経営を推し進めていくのが現実的だと思うんですよね。仮にこの先50年30キロ圏内が立ち入り禁止区域になったとしても、石油を燃やし続けるわけにはいかないのではないか・・・あ、「現実的」というのも金科玉条です。


とにかく、理系は経営トップになれないと言う現状は改まらないといけない。
菅首相には批判が多いけれども、事故直後から東日本がつぶれることもあり得るという認識を持っていたことを「否定しない」と記者会見で述べていたあたり、さすが理系だなと僕は見直しました。
特に、東大ではたしか原子力工学科は進学振り分け(注)で成績が悪くてそこにしかいけない人たちが行くような学科だったとたしか聞いた覚えがあるんだけど、それじゃまずいよな。
 

(注)
東京大学は入学した時点では文科・理科各Ⅰ類Ⅱ類Ⅲ類に分けられてはいるものの専門として何を専攻するかは未定のまま「教養学部(前期課程)」という学部に所属して一般教養を勉強し、その成績で行きたい専攻に行けたり、行けないから自発的に降年(2年生の途中から1年生になること。2年生を繰り返す留年とは異なる。)して平均点アップを図ったり、あきらめて興味のない専攻に進んだりと分かれて行くのです。
僕の進学した文科Ⅰ類は、規定上、勉強すれば教養学部の後期課程に進めるもののほとんど法学部にしか進めず、また法学部以外に進むことを希望する人もまれだったので、あまり勉強しませんでした。教養学部は多種多様な教官がそろっているし、なにしろ一般教養だけで部局を持っているのは日本では東大だけなので、もっと勉強しとけばよかったなと思っても後の祭りで、気づいた時にはもう僕は弁護士になっていました。もう大学に入り直すとしても専門課程からの編入学となり、前期課程は履修できない・・・
もっと早くそのことに気付いたのであろう女の子がいまして、都市伝説ですが、法学部進学後「法学部の男は馬鹿」と言って教養学部の学部長に転学部の許可をもらいに直談判に行き、「頭を冷やしてきなさい」と学部長に言われたその子は廊下の水道から水を頭にぶっかけて「頭冷やしてきました」と切り返したそうな・・・信じるか信じないかはあなた次第。ま、本人は否定していましたが、大学院から教養学部の大学院に進みましたな。
上記のRCサクセションの曲のURLはその自称「にわか社会派」女の子のブログに貼ってあったものですが、ここでおちょくっていますのでリンクは張らないことにします


福島に行きます。

日弁連が月曜日から毎日4人の弁護士を福島の避難所に派遣するということで、僕も行くことになりました。
 

ただ、まだ境界がどうなるとか労使紛争がどうのとかいう問題が生じるほど落ちついてはおらず、東京であれば報道で容易に知り得る災害弔慰金とか社会福祉協議会の緊急小口貸付とか、失業していなくてももらえる失業保険とか、身分証明書があれば通帳も印鑑もなくても預金はおろせるとか、そういったことを周知させるのが精いっぱいだそうです。
 

まだそれでもこれらは一応法律相談にはなっていますが、実際には、ただ1時間くらい話を聞いて頷いてあげるということがほとんどだそうで、弁護士よりも心理士と報道関係者に行かせた方がいいんじゃないかななんて思うのですが。。。
 

今日のミーティングでいわきの弁護士が来ていました。身内にも亡くなられた方がいるということで泣きながらのスピーチでしたが、気を引いたのは、新聞記者が取材に来た後、

「福島には入りたくないから避難所の写真をくれ」

と言ってきたそうな。自分の目で見たものを報道するのが報道機関の使命じゃなかったのかと憤っていました。
 

福島は(原発30キロ圏を除いては)大丈夫、なかにはレインコートを着て重装備の人もいるけど、何も気にせず普段着で外を歩いている人もいる、気分の問題にすぎず、まさに風評被害だ、ということでした。

どこの避難所に何回行くのか、まだ知らされていませんが、何か持っていってあげたいですけど、避難所の管理上問題あるのかどうか、どうでしょう。
お話の聞き手になるのなら、和菓子なんか持っていったらどうだろうと思うのですが。
それとも新聞なんか重宝するのでしょうか。プリンターを持っていった弁護士がいて、インターネットで調べた情報をプリントアウトして差し上げると喜ばれたとも言っていました。


とりあえず自分の水は4リットルくらい持っていきます。よく飲むので。
(地震直後、何も持たずに、陸路歩いて現地に行き、2日間食べるものもなく、市役所の人から被災者用のお菓子を食べてしのいだとツイッタ―でつぶやいたバカ中国人記者がいたそうです。)
 

いわき市は地震・津波・原発・風評で避難指示区域よりもある意味苦難に直面しているそうです。
あれ、五重苦だったよな。あと一つなんだろ。
いわき市への寄付自体が寄付金控除の対象になるそうなので、みなさんも。


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