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ブログ 2010年8月アーカイブ

私の優しくない先輩

「ああ、そうだよ。俺はクサいよ!あたりまえだろ?生きてるんだから!!」
(映画「私の優しくない先輩」2010年ファントム・フィルム)

 

「私の優しくない先輩」を観てきました。エンディングロールの、5分間ワンカットのダンスシーンは見事でした。
これだけのために、たぶんDVD出たら買うな。

聞くところによると山本寛監督(ヤマカン)のダンスは有名だそうで、いまさらながら、DVDで「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」などヤマカン監督のアニメ作品を観てみました。
 

うわー、おれ、オタク化しているなあ、と思いながら。
アニメの方のダンスシーンはそれほどじゃなかったのですが、涼宮ハルヒの憂鬱は話自体が笑えた。


ところで質問なんですが、「涼宮ハルヒの憂鬱4」と「涼宮ハルヒの憂鬱4 笹の葉ラプソディ(第1巻)」はどうちがうのでしょうか。なんで4が第1巻なんでしょうか?
アマゾンで注文するとき困ってしまいました。


心にぜい肉がつくと、ジーンズは似合わない。

「その昔、ジェームズ・ディーンが主演した『理由なき反抗』という映画があった。あの頃、ジーンズといえば、不良っぽい若者がはくものだった・・・。それから少し時が流れ、若者たちが、大人の考え方や社会に反発するようになった。ヴェトナムの反戦運動をはじめとする、いわゆる反体制運動だな・・・」
と佐伯。爽太郎は、彼を見た。
「あんたが青年だった頃だ」
「そう。そういうことだ。当時、私もデモに行ったりしたものだ。それは、若い連中としてはごく普通のことだった。そして、そんな頃、若い連中の多くがジーンズをはいていた。つまり、ジーンズは、大人の社会と一線を引く世代のものだったんだ」
と佐伯。爽太郎は、口笛で、ボブ・ディランの<風に吹かれて>を軽く吹いた。佐伯は、苦笑い。
(中略)
「そう・・・つまり、私が思うジーンズとは、単なるファッションじゃない。言ってみれば、身につけている人間の生き方にかかわっているものだ」
「反体制?」
と爽太郎。佐伯は苦笑い。
「いや、そこまでは言わない。しかし、すでに誰かがつくり上げた世の中の流れに、おとなしく従うんじゃなく、<ちょっと待てよ、それは本当にそれでいいのか?>と考えてみる、あるいは、<それは違うんじゃないか?>と突っぱねてみる、そんな骨のあるというか、気概のある人間に、うちのジーンズをはいてもらいたい。そんなイメージ広告というか企業広告を展開したいんだ」
と言った。
(喜多嶋隆「あのバラードが歌えない」)

 

僕はジーンズにTシャツというスタイルで執務することをPRしてきたのだが、事故を起こしてから両親をはじめ家族の監督が厳しくなり、車とバイクの運転を禁止されたうえ、ワイシャツにスラックスを強要されております。
 

生き方を否定された気がする。


サヨナラには早過ぎる

「愛車、マークⅢ.走行距離16万キロ
エンジンのオーバーホールすでに3回
まだまだ乗り続けるつもり
1台のクルマと、とことんつき合う・・・・・・そんな生き方もいい
サヨナラには早過ぎる。」
(喜多嶋隆「サヨナラには早過ぎる」)

 

2週間前から、とある場所にとじこめられていました。
2週間前のある日の朝5時、家族宅に入電
「こちら都立広尾病院です。大変申し上げにくいのですが、佐藤文昭様が意識不明の重体です。ご家族の方はすぐにお集まりください。」
 

朝8時、続々とICUに集まる家族。
 

約6時間後・・・ん、んあ?
僕は目を覚ました。
迫りくる看護師たち
容赦なく浴びせられる質問の嵐。
「今日は何日ですか?」「えーっと、19日が月曜日だったから、26日?」
「自分の名前を言えますか」「佐藤文昭です。」
「ここはどこですか?」「知りません。」
「手足をグーパーしてください。」「しびれてませんか?」
僕はベッドに縛り付けられ、酸素マスクと点滴をつけられて尿道からカテーテルもつながれていた。
ただ寝ていただけだったのにすごいことになっている。
 

良く覚えていないのだが、聞いたところによると自動車が停車中の車と衝突して円弧を描くように滑走し、中央分離帯に激突して転倒して止まったらしい。
現場にはガソリンも流れ出して火災の危険もあったそうだ。
車の下の方に血を流してうずくまっていた僕を、とおりがかりの人たちがエンジンを切って火災を防ぎ、車を押して引っ張り出してくれたらしい。
お気に入りのオザケンの「ひふみよ」ツアーのTシャツが救急隊に切られてしまった。
ショック。


で、そのあと、1日ごとに管が1本、また1本と抜かれ、
    「こいつ実はたいしたことないんじゃないか?」
という空気がERにながれはじめたのだが、そこはさすがお役所仕事の都立病院、MRIの検査で脊椎に異状なしと診断できるまでERからは出せないとのこと。
このERというのは、外に買いものにでかけることもできないし、中から電話もかけられないし、12歳以上の家族しか面会できないし、家族に面会にきてほしいと伝言を頼んでも病態の急変以外は病院からは連絡できないという、留置場以上に不便なところなのである。
そしてMRIの検査もキャンセル待ちで1週間意味もなくERに閉じ込められ、僕はERの中をうろちょとしていたのであった。
そして検査の結果脊椎に異常はなく眼底を骨折しているだけだと分かり、一般病棟に移り手術。
腸骨を削り取って右目の下に移植して、1週間経過を観察したら、今度はすばやいもので抜糸とともに、「はい、じゃあ今日退院ね。」と追い出されてきたのでした。
 

退院しても安静は必要なので、今月は仕事をセーブさせてもらっています。
ご迷惑をおかけします。
 

12月に買ったばかりのクルマが、廃車だよー
サヨナラには早過ぎる。


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