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足利事件再審開始決定

「でもね、僕は思うんです。たとえ今こうして平穏無事に生活していても、もし何かが起こったら、もし何かひどく悪意のあるものがやってきてそういうものを根こそぎひっくりかえしてしまったら、たとえ自分が幸せな家庭やら良き友人やらに囲まれていたところで、この先どうなるかわからないんだぞって。ある日突然、僕の言うことを、あるいはあなたの言うことを、誰一人として信じてくれなくなるかもしれないんです。そういうことは突然起こるんです。ある日突然やってくるんです。」

「僕が怖いのは青木のような人間ではありません。・・・人の心を巧みに掌握し煽動する能力ーこういうのは誰にもあるものではありません。僕はその手のものが吐き気がするくらい嫌いですが、でもそれが能力であることは認めます。
 でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受入れやすい他人の意見に踊らされて行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。彼らは自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当りもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。」
 (村上春樹「沈黙」)

 

足利事件(1990年)で無罪濃厚の菅谷さんの再審開始決定が出ました。最近冤罪が判明することが多いですね。
菅谷さんは死刑から免れましたが、同時期、同じ方法によるDNA鑑定(鑑定と呼べる代物なのかも疑わしいですが)で有罪とされ死刑判決を受けた久間三千年さんは再審請求準備中の2008年10月28日死刑執行されてしまいました。死神による執行かとおもいきや、2か月前に弁護士でもある保岡興治に大臣が変わっていますね。

伝家の宝刀として死刑は必要であるというのが私の意見ですが、同時に、伝家の宝刀は決して抜かれてはならない
 

という教えもあることを肝に銘じないと、昨今の厳罰化傾向の中、近代から中世に逆戻りした感が一層高まっていくのではないかと思います。人が人を殺すのは簡単でも、国家が人を殺すのは極めて困難を極めなければならないです。
 

村上春樹は「青木」ではなく、「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受入れやすい他人の意見に踊らされて行動する連中」が怖いと言っています。いじめはいじめっ子よりも傍観者が最も罪大きいと教職課程で習いましたが、傍観者のリーダー、「裁判官」がまさに「自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受入れやすい他人の意見に踊らされて行動する連中」じゃないかと思っています。かつて裁判官がこちらの抗弁を見落として敗訴判決を出したことがあったのですが、ごめんなさい控訴してくださいというだけで、何の責任もとらず、印紙代すらも持たないし(それぐらいポケットマネーで出せよ。)。

菅谷さんを死刑にした裁判官の名前も、報道されませんね。

それと問題なのが一審弁護人。被告人の無罪主張を信じず、情状弁護という方針をとったため、自白調書にすべて同意し、証拠調べなしで有罪判決となりました(一審では情状弁護という方針は通り、無期懲役となりましたが、高裁で死刑になっています。)。たぶん、報酬7万円でやってられるかという姿勢の国選弁護人でしょうね。国選弁護報
酬が低すぎるという問題ともつながっている気がします。誰も自分の言うことを信じてくれないときの、唯一人自分を信じてくれる存在が弁護人だろうと僕は思うのですが。


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