HOME > ブログ > アーカイブ > 2009年5月アーカイブ

ブログ 2009年5月アーカイブ

交通事故のようなもの

「『ムーン・パレス』という小説は、今まで読んだ本の中でかなりお気に入りの一冊である。だから、同じ著者の別の作品も読んでみようと、『偶然の音楽』P・オースター(新潮文庫)を読んだ。
 

実はこの本は、ずいぶん前にいつか読むだろうとブックオフで買い、長い間本棚で読まれるのを待っていた。いわゆる「積ん読」というものだが、そういう本がかなりたくさ
ん僕の本棚にはある。
 

いつか必ず読みたい。でももう少し後で。そうずっと思っていた本なのだ。
だから、そういう本は必ず「なぜ今この本なのか」と読む前も、読んでいる途中も、読んだ後も思っている。自分の人生と本を、時間を限定させる事によってより強固に結びつけたいと思っているのだろう。あるいはどこかで、「“今”読むべき本は、膨大な冊数の中でもたった一冊しかない」と思っているのかもしれない。だから僕は、本を読む

時間と同じかそれ以上に、読む本を選ぶ行為に多くの時間を割いている。
 

僕は本を読む事は大好きなのだが、実は読むスピードは遅い。それにとてもたくさんの労力を使う。一冊読むとクタクタになる。時間的にも精神的にも多くを消費してしまう

本は、やはりよくよく選ばなければならないと思っている。
 

ではなぜ、今この本を選ぶのか明確に説明できるかといえば、そうではない。
実用書などは必要だから読むと説明できるが、小説はちょっとよく分からないのだ。交通事故のようなものかもしれない。恋のようなものかもしれない。偶然、何気なく本棚から手に取り読み始め、いままで入り込めなかったのにその時はなぜか一気にその世界に入り込め、そして読了してしまう。」

(本郷毅史「その日を摘め」http://hanamote.com/blog/archives/2004/12/post_2.html)
 

「交通事故のようなもの」という表現がある。
意図せず偶然におそいかかる出来事のことを指す。
失恋などがその典型だろう。
ただし、偶然と言っても、完全に偶然なのではなく、その偶然には必然性が秘められている。
注意をつくせば、避けることもできたというニュアンスだ。
だから文脈によって、偶然性を指すこともあるし、必然性を指すこともあり、結局、どういうことなのかがよくわからない言葉なのだ。


2週間ほど前、似たような経験をした。
バイクで山手通りを走行中、中央分離帯を乗り越えて歩行者がいきなり僕の前に飛び出し、僕は真正面からぶつかり、バランスを失って停車中のバスに衝突した。
 

ろっ骨が骨折し、2週間動けなかった。


福井県はなんのためにあるんですか?

「税金の無駄。福井県なんて必要ない。」(福井県鯖江市 80歳 男性)

優先搭乗

「2歳未満の子供をお連れのお客様、妊娠中のお客様、ご搭乗にあたりお手伝いを希望されるお客様より先に機内にご案内いたします。」(空港内のアナウンス)
 

「この荷物持つの手伝って」と言ってみたい。


MAY DAY

「四月の末だのに、初夏のようにむし暑い。すっかり開けはなして夜の庭に向った座敷のラジオがメーデーの歌の指導をしている。

きけ、万国の労働者
とどろきわたるメーデーの


ハイ、と一節ずつ区切って熱心に合唱を教えている。その歌に合わせて、本をよんだり、書きものをしたりしている三人の男たちが、折々一緒にうたっている。足袋つくろいをしながら、若い従妹も小声でそれに合わせている。

わたしは、いうにいえない思いで、胸いっぱいになりながら、そういう宵の情景の裡にいた。

保守政党は失業と食糧問題のこれほどの切迫をよそに、政権争いをつづけ、私たちにあいそをつかさせている。けれども、日本の民主の夜明けが来ていることも事実である。

その証拠には、初めてメーデーが公然と、働く人民の行進の日として認められるようになった。メーデーの行進が遮るものもなく日本の街々に溢れ、働くものの歌の声と跫足とが街々にとどろくということは、とりも直さず、これら行進する幾十万の勤労男女がそれをしんから希望し、理解し実行するなら、保守の力はしりぞけられ、日本もやがては働く人民の幸福ある国となる、その端緒は開かれたということではないだろうか。」
(宮本百合子「メーデーに歌う」日本民主主義文化連盟1946(昭和21)年6月発行)

 

ブログを見たかみさんに、ふざけるのもいいかげんにしろ、と真顔で脅迫されましたが、僕は基本的にふざけたやつなので今まで通りぐだぐだしたスタンスでいきます。
 

4月29日に連合のメーデーが開かれたという報道を受けて、
      ほお、メーデーはエイプリルデイに変わったか
なんて思っていたら、今日は事務所の前をデモ隊が赤旗持って行進していました。今日は全労連系のメーデーなんだそうです。
警察が交差点でデモ隊に合わせて信号を操作しているため、普段より赤信号の時間が極端に長く、さらに黄色になったら警察官が車をとめるので貴重な一回の青信号でも一台しか右折できず、事務所の手前で甲州街道から明治通りに入るのに30分以上かかってしまった。
「黄色は止まれ」だなんてキ弁だ。
 

連合も全労連もどっちも労働者なんだから、「万国の労働者よ、団結せよ!」と言いたくなるのだが、それぞれ微妙に主張が違うらしい。全労連も正式名称は「全国労働組合総連合」なのだから「連合」じゃないか、ややこしくてわけわからん(ちなみに連合の正式名称は「日本労働組合総連合会」。どこが違うんじゃ。)
 

で、宮本女史は戦後の焼け野原でのメーデーの行進に人民の幸福ある国のあけぼのを見出したのだが、平成21年の今日、渋滞にいらいらしたドライバーにはねられることもなく警察官に守られながら歩いているおとなしい集団を見ると、幸福はいつも遥か彼方にあって僕たちが追いつくと先に進む蜃気楼のようなものではないかと思ってしまう。


車で向かった先は東京拘置所。記録が膨大で持てないから車を出したのだ。
面会受付で恐ろしい光景を目にした。
 

マザコン弁護士!!
 

ママとおぼしきおばさんがそばに付き添い、ヲタク顔した30前後のやさ男が、あぁ、記録間違えて持ってきちゃったよぉ、また取りに行かなくちゃいけないよぉ、と泣きそうになっているのである。
 

本来権力と闘うことが使命の弁護士にも平和ボケが起きているのか。情けない。


1

« 2009年4月 | メインページ | アーカイブ | 2009年6月 »

このページのトップへ