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沈黙

「今日一日、ミサキの抱えた問題について、どれほどの言葉を発することだできただろうか。慰めも愛情の共感も、確かな言葉はたった一つも言えることができなかったように思う。きっと、僕にできることは、ただ黙ることだったのだ。だまることでしか、痛みを共有できないのかもしれない。安易な言葉の慰めは自己満足だ。自分の抱えてしまった重い気持ちを軽減するための卑怯な傍観者の言葉だ。慰めることさえできない自分に、まず僕は耐え続けなければいけないのだろう 『人間はどんなことにも慣れることが出来る動物だ』・・・いつか聞いた警句を思い出した。大学時代のことだったろうか、初めて聞いたときは、ひどく後ろ向きの消極的な 言葉に思ったが、もしかしたら救いの言葉だったのかもしれないと思う。」(榊康彦「100万分の1の恋人」)

言葉に表さなければ、裁判では、証拠にならない。
しかし、言葉にできない感情や表現というものが、裁判ではなぜ許されていないのだろう。
ことばにすれば陳腐で、信用ならないことであっても、その人と何か月も弁護人として付き合っていると、分かってくることがある。
そういうものがあるということ自体、官僚裁判官には理解できていないし、「法廷に提出できない弁護人の力量不足」で片づけられてしまう。

黙ることは抵抗ではない。
好意を示すために、黙るしかないことだってあるのだ。

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