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2008年08月 アーカイブ

2008年08月04日

18歳だった

たかが/されど訴訟委任状をもらいに、依頼者の住むパキスタンに行ってきました。

死なない程度にテロに巻き込まれてニュースに取り上げられるのも悪くない、という思いもありましたが、外務省の海外安全情報では、私が行った北西辺境州は「渡航の延期をお勧めします。(組織的な安全対策をとることができない方は、同地域への渡航を厳に差し控えるようお勧めします。」が発出されている地域であり、本当に誘拐されたら、ゆかいどころかシャレにならないので、依頼者宅から一歩も出ませんでした。

僕はパキスタンは初めてではありません。
大学生のころ、家族はパキスタンに住んでいて、年に3回は日本食を段ボールに20箱ぐらい運んでいました。
超過手荷物料金がかかるけど、手荷物なら非課税だけど別送したら高額の関税がかかるので、そうしたわけです。

さてさてその帰り道、東京行きのパキスタン航空を待っていると、待てども待てどもコールのアナウンスが流れない。
不安そうにちょこんと座っている日本人らしき女の子がいて、話しかけました。
ゲートの変更なども全然わからないでいました。

その子は柴田さんといって、不幸にもWAHAHA本舗の柴田理恵と同姓同名でした。

パキスタンではちょっと話をしただけなんですが、トランジットのマニラで台風に合い、4-5時間足止めをくらって、その間ずっと話をして仲良くなりました。
なんでもイギリスに語学留学の帰りだったとか。そして隣の席のイギリス人に「その割には英語が下手だね」と言われたとか。

成田に着いたら、当時はまだあった出入国管理記録票に彼女が住所を書くのを忘れずにチェックし、その場はあっさりバイバイと帰りました。
そして、数日後、彼女の家に突然行ったら、びっくりしつつも、一緒にドライブに行き、踏切の前では一時停止して運転席の窓を開け、彼女と付き合うようになりました。

そんなロマンスが今回もないかな、と思っていましたが、今回話しかけてきたのはおやじでした。

教訓 パキスタン航空ではCAのコールサインを付けても、来ない。
    パキスタン航空のCAのlater は永遠に来ない。
    パキスタン航空でchickenを頼むとfishが出てくる。
    パキスタン航空の最後部の座席は音楽のどかどかうるさいノイズが流れてきて眠れない(マジギレした。)

2008年08月05日

「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」

高橋は間をおく。
「僕は主に刑事事件の裁判を傍聴した。暴行傷害とか、放火とか、強盗殺人とか。悪いやつがいて、悪いことをして、とっつかまって裁判にかけられる。お仕置きを受ける。そういう方がわかりやすいじゃないか。経済犯とか、思想犯みたいなやつだと、事件背景が込み入ってくる。善と悪との見分けがつきにくくなってくるし、そうなると面倒だ。僕としてはさっさとペーパーを書いて、まずまずの単位をもらって、それでおしまいというつもりだった。小学生の夏休みにやった朝顔の観察日記と同じだよ」
高橋はそこで言葉を切る。テーブルの上に置いた自分の手のひらを眺める。
「でもね、何度か裁判所にかよって、事件の傍聴をしているうちに、そこで裁かれている出来事と、その出来事にかかわっている人々の姿を見ることに、変に興味を持ち始めたんだ。ていうか、だんだん人ごとには思えないようになってきたんだよ。それは不思議な気持ちだったね。だってさ、そこで裁かれているのは、どう考えたって僕とは違う種類の人たちなんだよ。僕とは違う世界に住んで、違う考え方をして、僕とは違う行動をとっている。その人たちの住んでいる世界と、僕の住んでいる世界のあいだには、しっかりとした高い壁がある。最初はそう考えていた。だってさ、僕が凶悪犯罪を犯す可能性なんてまずない。僕は平和主義者で、性格温厚、子供のころから誰かに向かって手をあげたことだってない。だからまったくの見物人として、裁判を高見から眺めていることができた。よそごととして」
彼は顔をあげて、マリを見る。そして言葉を選ぶ。
「しかし裁判所に通って、関係者の証言を聞き、検事の論告や弁護士の弁論を聞き、本人の陳述を聞いているうちに、どうも自信が持てなくなってきた。つまりさ、なんかこんな風に思うようになってきたんだ。二つの世界を隔てる壁なんてものは、実際には存在しないのかもしれないぞって。もしあったとしても、はりぼてのぺらぺらの壁かもしれない。ひょいともたれかかったとたんに、突き抜けて向こう側に落っこちてしまうようなものかもしれない。というか、僕ら自身の中にあっち側がすでにこっそりと忍び込んできているのに、そのことに気づいていないだけなのかもしれない。そういう気持ちがしてきたんだ。言葉で説明するのはむずかしいんだけどね」(村上春樹「アフターダーク」)

2008年08月06日

彼のなかの壊れていない部分

いつぞや事務所に訪れて、必死に自首を勧めてかなわなかった彼が、ついに自分から自首したそうです。
私の事務所に来たあと、父親の墓参りをして、父の墓が傾いて父も怒っている、と自首を決心したそうで、所持はなく使用のみで交番に行き、逮捕してくれとせがんだそうです。
地域の警察官にはそんなことできるはずもなく、薬物対策係を呼んで、尿検査をしたあとで逮捕されたそうです。
刑事さんも、使用で自首なんて例は聞いたことがない。その志は立派だ、と取調べのときもさん付けで呼んでくださっているようです。
前刑から5年しか間がないので、執行猶予が法律上可能かどうか微妙ですが、被疑者は、実刑を覚悟して、とにかく覚せい剤をやめたいと言っていました。

覚せい剤を使ったことは論外ですけれども、自首した姿勢は立派だったと思います。

2008年08月07日

「たくさん歩いて、ゆっくり水を飲めばいいのね」「逆だ」

高橋はコーヒーカップの縁を指でなぞる。
「で、いったんそういう風に考えだすとね、いろんなことがそれまでと違った風に見えてきた。裁判という制度そのものが、僕の目には、ひとつの特殊な、異様な生き物として映るようになった」
「異様な生き物?」
「たとえば、そうだな、タコのようなものだよ。深い海の底に住む巨大なタコ。たくましい生命力を持ち、たくさんの長い足をくねらせて、暗い海の中をどこかに進んでいく。僕は裁判を傍聴しながら、そういう生き物の姿を想像しないわけにはいかなかった。そいつはいろんなかたちをとる。国家というかたちをとるときもあるし、法律というかたちをとるときもある。もっとややこしい、やっかいなかたちをとることもある。切っても切っても、あとから足が生えてくる。そいつを殺すことは誰にもできない。あまりにも強いし、あまりにも深いところに住んでいるから。心臓がどこにあるかだってわからない。僕がそのときに感じたのは、深い恐怖だ。それから、どれだけ遠くまで逃げても、そいつから逃れることはできないんだという絶望感みたいなもの。そいつはね、僕が僕であり、君が君であるなんてことはこれっぽっちも考えてくれない。そいつの前では、あらゆる人間が名前を失い、顔をなくしてしまうんだ。僕らはみんなただの記号になってしまう。ただの番号になってしまう」
高橋は続ける。「僕が言いたいのは、たぶんこういうことだ。一人の人間が、たとえどのような人間であれ、巨大なタコのような動物にからめとられ、暗闇の中に吸い込まれていく。どんな理屈をつけたところで、それはやりきれない光景なんだ」(村上春樹「アフターダーク」)

2008年08月08日

コルセット

「20世紀以前のコルセットや、コルセットをした上でしか纏えないドレスの展示から始まり、女性の身体をコルセットから解放したPaul Poiretの革新的なドレス、そしてCOMME des GAR・ONSやYohji Yamamoto の90年代のプレタポルテの作品迄が次々と並ぶ中に、被服とは身体を拘束しデフォルメするものである、しかし身体と調和するものでなければならないという相反する命題を見出すことは容易でした。20世紀の洋服にはコルセットは必要ではないが、身体とアイデンティティを拘束するという意味においては、コルセットという観念は被服につきまとうということをキュレイターは主張していました。」
「リアルクローズというのが、ファッションの主流になってから久しいですが、僕はそれらに関心が持てない。そういうものがあってもいいとは思うんですけれどね。でもそればかりでは、世の中、辛すぎます。Calvin Kleinなどの洗練された―といえば聞こえは良いけれど―結局は無難な、メゾンのお洋服しか着用不可な世の中なんて、絶望的過ぎます。過去のロマンチシズムに敬意を払うVivente Westwoodのお洋服を切ることは、この時代では酔狂でしかない」
「私も貴方も、19世紀に生まれていればね」
「ええ、時折そう思います。でもね、こうも思うんですよ。もし仮に19世紀に生まれてきたら、それで希彌子さんも僕も、また文句をつけていたのではないだろうかと。18世紀に生まれればよかったと、ね。僕達は今のこの時代が嫌いなのではなく、常に現在という状況が気に入らないのではないかとも、思うんです。」
「どの時代にいようと過去を憧憬し、今を絶望するしかないっていうの?案外、そういうものかもしれないわねぇ。それなら、やっぱり、どうあがいても、死ぬしかないわねえ。」
(嶽本野ばら「コルセット」)

自殺ほう助で起訴された被告人の控訴審の弁護をしました。
エヌ氏はどうしてもその日確実に死にたいと志願しており、被告人は睡眠薬を売って、エヌ氏が袋をかぶって死ぬのを見届けたという罪に問われていました。
僕の控訴趣意書では「生命の尊厳は、生命の最後である死を選択する自由が認められることで保たれる。・・・エヌ氏は、明らかに、自分の生の尊厳を守るために、逆説的に、確固たる意志で、死を選んだのであり、この選択を助ける行為を処罰するのはエヌ氏の尊厳を害する。・・・ビニール袋だけでは死なないと見るや、枕を置いたりしたのも、最後を見届けてほしいというエヌ氏の希望にこたえたものであり、大好きな熊のぬいぐるみを横に添えたのも、(この世で地獄を味わった)エヌ氏が天国で幸せに暮らすことを願った被告人の優しさの表れである。」と述べ、自殺ほう助罪の憲法13条違反や量刑不当を主張しましたが、

憲法13条は自殺する権利を保障したものではない

と一蹴されました。

僕たちはコルセットをはめられて生かされる存在なのでしょうか。主体的に生きる存在ではないのでしょうか。


2008年08月09日

精神科救急

三人の依頼者が事務所を訪れた。
三人とも頭を垂れて、手足を痙攣させ、
    福祉事務所はやくざです。
    部屋に帰ったら僕は殺されます。
    ケースワーカーが殴るけるの暴行をします。
    助けてください。
を繰り返す。
都立松沢病院での検診命令を受けたのに対し、
    病院に行くと殺される
と言って行かなかったため生活保護が停止された人たちだ。

僕のこと怖い?と聞いても助けてください、だけで会話が成り立たない。

学部レベルの心理学の素養しかない僕でも、被害妄想、対人恐怖、場面かん黙であることはわかる。
都立広尾病院の救急に電話をかけて事情を説明したら、明らかに急性期の精神病で入院も視野に入れないといけないといけないが、午後の遅い時間では入院の体制がちょっと・・・ということで診察を断られた。

そこで今日(土曜日)の朝、私が付き添って当の都立松沢病院の精神科外来を訪れた。
もちろん、スーツにバッジ。

都立松沢病院は精神科救急で有名な病院なので適切な処置を講じてくれるかと期待していたら

大間違いだった。

都立松沢病院はとんでもない病院だ。

K氏を担当した内海香里医師は、暴行を加えているというその当のケースワーカー同伴で来るようにといって診察を拒否した。

H氏を担当した田口寿子医師は、怖がって同じく付き添っていた知人の服の裾を握って離さないH氏に対し、何の説得もしようとせずいきなり手首を握って無理やり振りほどこうとし、H氏が怖がってますます縮こまると、診察不能、と言い捨てて手首を放り投げた。

しゃべらない人がしゃべる気持ちになるように、ひたすら待つ「聞く技術」がカウンセラーに求められるということくらい、心理学科の大学生なら授業で習う。
大学生レベルの基礎的素養すら、都立松沢病院の精神科の医師にはないのだ。

また、田口寿子医師は続けてJ氏も担当したのだが、なんとか説得して部屋に入れたJ氏に対し、大声で怒鳴るように尋問口調で質問を続け、怖がって黙り込んで帰りたいと言い出したJ氏に対し、(ここからはJ氏の一方的な言い分なのだが)手首をつかんでJ氏を壁に押し付け、
         お前は刑務所行きだ
         やくざを連れて来たのか
などの暴言を吐いたそうなのだ。

診療を拒否した内海医師は医師法19条違反で告訴できるが、こんな乱暴ながらも一応診療はした田口医師は告訴できないという矛盾、そして、このような病院が世の中にのさばっていること自体、問題視されないといけない。

2008年08月10日

ヒマワリが笑っていた

「いま、迷っている。この物語を書きはじめるにあたって、主語を『僕』にしようか、『私』にしようか、少し迷っている。今年で34歳になる。もう若者と呼ばれる年齢ではない。けれど、中年を実感しているわけでもない。いまも、クロールで500メートルを軽く泳げる。
結局は、単なる年齢の問題ではなく、気持ちの問題なのだろう。
『僕』という主語で書きはじめると、半袖のポロシャツを着ている気分になる。『私』で書きはじめると、スーツを着ている気分になる。
いまの自分は、半袖ポロシャツと、スーツと、どちらが好きか。気分に、なじむか・・・・・
考えるまでもなく、ポロシャツだ。いいだろう。主語は『僕』でいく事にする。」
(喜多嶋隆「ヒマワリが笑っていた」)


このブログの一人称は、2通の例外を除き、「僕」で統一されています。クロールで500メートルは泳げないけれど。

ご存じの方も多いと思いますが、ひまわりは弁護士のシンボルです。
スーツでは、あまり笑えませんよね。

2008年08月11日

タクシードライバー

ベトナム帰りのタクシードライバーは苦労人とみえて、酔っ払いの泣き顔を見て見ぬふりして、天気予報が今夜も外れた話と、野球の話ばかり何度も何度も繰り返す。

でも、無賃乗車は見て見ぬふりはしない。

今日はとある外国人の強盗致傷の被疑者国選弁護事件を依頼されました。
タクシー代金を踏み倒そうとして逃げて、捕まる際にドライバーと逮捕に協力した通行人にかすり傷を負わせたもの。

接見に行って、被疑者に、日本の法律では、留置場では電話はかけられないこと、法定刑が6年以上の懲役になることを告げたら、腰を抜かして面会室をうろうろしまわり、OH, MY GOD!を繰り返していました。
踏み倒したタクシー代は4000円くらいなんですけど、ただの傷害事件なら罰金ですむものもこの4000円があったがために強盗傷害となり、6年以上の懲役になってしまうのです。
示談が成立して酌量減軽がされてやっと懲役3年以上、3年ならギリで執行猶予がつく可能性がゼロではないという重大犯罪なのです。

本国から、示談金を持ってお母さんが飛んでくるそうです。


2008年08月17日

昨日見た夢

検察庁との合同飲み会。
隣の検事が、名刺を、名前を自分の方に向けて渡してきた。
僕はそれをくるっと回して受け取った。

検事の世界は序列が厳しいらしく、みな上の者のいうことを黙って聞いていて、つまらない。
僕はテーブルの上の御膳をどけて、枕を出して寝た。
自分に向けて名刺を渡した検事が、切れた。
俺が場を盛り上げてやっているのに、とかなんとか。
じゃあ、邪魔しちゃ悪いから、このへどがでるような会合が終わるまで寝る場所をどこかにくれと、僕は言った。
かわいい若い女の検察事務官が、隅にスペースを作ってくれた。
「弁護士って、どんなお仕事なんですか?」
「検事が作る嘘っぱちの調書を否定するのがしごとだよ」と僕が答えた。
「嘘っぱちなんですか?」
「半分くらいはね」
寝ようとすると、少し理性のありそうな検事が、仲裁に入ってきた。
しかし、切れるととことん切れるのが僕なので、仲裁は不調に終わった。
第二の検事は、「高検の長官を呼んでこよう。」と言って去った。

初老の男性が、第二の検事とともに入ってきた。
僕は、第一の検事がとてつもなくつまらない話をしていたこと、そしてだれも反応していなかったこと、枕が変わると眠れないことを告げた。
なんと、長官は、「彼には話す権利があるが、君には聞かない権利がある」と僕の味方をしてくれた。
それを第一の検事に話してくださいと言って、長官と僕は手を取り合って、広い会場の中を第一の検事探しに走り始めた。
長官は、「鬼ごっこを思い出すね」と笑っていた。
周囲の観客は、走る僕らにぶつかったり避けたり混乱しながらも、「あいつは気づいて逃げまわってるよ」とエールを送ってくれた。
エレベーターに乗って、逃げようとする第一の検事を見つけた。
僕は走り出して、馬乗りになって抑えこんだ。

「長官!」

そう叫んだところで、目が覚めた。
(実際には、高等検察庁の長は検事長といい、長官は存在しません。)

2008年08月19日

Insomnia

「私のどこかで何かが消え失せ
錆びついた怒りを手放そうとしている
私は鳥になり、雑踏を飛んでいく
迷いは羽根になり全てを振り切っていく
LIFE, MY LIFE, MY FRAGILE LIFE
やっと気付いたの」(「螺旋」鬼束ちひろ)

僕はInsomniaで、効かない薬ばかりが転がっている。
でも、昼間は、眠れるから不思議だ。
裁判の合間に、弁護士会のマッサージチェアで寝ている。

その時僕は空を飛ぶ。
強く息を吸い込んで、ちょっとだけ吐いて、肺を空気で満たすと、マッサージチェアごと浮かんでいく。
最初はきついが、ある程度の高度になると、周囲の気圧が低いので、楽に上がり下がりできる。
雑踏が見える。
何かに対して怒っていたことも、どうでもよくなる。

高度自己ベストを更新すると、落下に入り、弁護士会の4階に戻る。
多くの場合、次の裁判の時間を少し過ぎている。

2008年08月20日

「月光」

「I'm GOD's child この腐敗した世界に堕とされた
How live I on a such field? こんなもののために生まれたんじゃない。
突風に埋もれる足取り 倒れそうになるのを、この鎖が許さない
心を明け渡したままで あなたの感覚だけは散らばって
私はまだ上手片付けられずに

「理由」をもっとしゃべって。 私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がってるけど
ここに声もないのにいったい何を信じれば?

I'm GOD's child 哀しい音は背中に傷痕をつけて
I can't hang out this world こんな思いじゃ他に居場所なんてない
不愉快に冷たい壁とか? 次はどれに弱さを許す?」(鬼束ちひろ「月光」)

子供には、いつもあったか、明るく元気に育ってほしいと、思うだろう。
元気なことは悪いことじゃない。
前向きなことも悪いことじゃない。
でも、後ろ向きなことも、悪いことじゃないと思う。
この仕事をしていると、心理的に弱いクライエントに出会うことがある。
そして、僕自身も心理的にとても弱い。
この夏は、北島康介でも泣いたし、野口みずきでも泣いたし、御巣鷹山でも泣いた。
鎮静剤を必要とするほどに。
弱いことが、否定的なことだとは思われない。

弱い人は、とても多い。
彼らは、社会の陰に埋もれてしまっていて見えないが。
あまりに弱くて、生活保護の申請すら「区役所が怖くて」できない人たちがいる。
競争主義を推進し、適者生存を原則とし、不適合者を切り捨てていくような、独占禁止法的社会は、望ましいとは思われない。
少なくとも弁護士は、弱い人たちの側にいるべきだと思う。

2008年08月22日

午前3時のオプ

「夜間も法律相談をおこなっています(要予約)」が事務所の売りになっていると勘違いしている弁護士さんが多いようです。
そんなのあたりまえだのクラッカー。

とにかく今日中に相談したい、といって相談にこられる方をお受けするのが僕のポリシーにしています。
昨日は、午後11時半にまず予約が入りました
なんでかわからないが、微罪で逮捕されてしまったというもの。
その後接見に行かないとようわかりませんな、ということで接見を0時から予定している旨警察署に連絡を入れておいたら、もう一人、どうしても今日中に、という方の電話がありました。

1時半になっちゃいますけどいいですか?0時ころから事務所でお待ちいただいてもいいですから、と婉曲的にお断りしたら、ぜひお願いしますということでした。
おいおい次の日10時の書面も準備していないのに、いったいどうすれば。。。

とにかく1時には彼と会いました。
相談は3時にまで及びました。
相談内容は、二股交際がばれて、しかも自分のしらないうちに性病を映してしまっていたこと、彼女から「ストーカー的」メールが絶え間なく、精神的にもたないということでした。
しかし、メールを見る限り、怒ってはいるけど、ストーカーには私は思えませんでした。
夜昼となく電話とメールが来ているので、錯覚におちいっているのではないかなと、思いました。
まるで、見えないものが見えているように、恐怖を感じておられます。
あと、性病を感染させたことに関しては、故意にやれば不法行為(というか傷害罪)ですけれども、自分も感染にきづいていなかったというのですから、風邪をうつしたのと同じで、何も問題はないというと、目からうろこという感じの表情をしていました。

彼の目には、状況がどういう風に見えていたのでしょうね。

2008年08月23日

沈黙

「今日一日、ミサキの抱えた問題について、どれほどの言葉を発することだできただろうか。慰めも愛情の共感も、確かな言葉はたった一つも言えることができなかったように思う。きっと、僕にできることは、ただ黙ることだったのだ。だまることでしか、痛みを共有できないのかもしれない。安易な言葉の慰めは自己満足だ。自分の抱えてしまった重い気持ちを軽減するための卑怯な傍観者の言葉だ。慰めることさえできない自分に、まず僕は耐え続けなければいけないのだろう
『人間はどんなことにも慣れることが出来る動物だ』・・・いつか聞いた警句を思い出した。大学時代のことだったろうか、初めて聞いたときは、ひどく後ろ向きの消極的な言葉に思ったが、もしかしたら救いの言葉だったのかもしれないと思う。」(榊康彦「100万分の1の恋人」)

言葉に表さなければ、裁判では、証拠にならない。
しかし、言葉にできない感情や表現というものが、裁判ではなぜ許されていないのだろう。
ことばにすれば陳腐で、信用ならないことであっても、その人と何か月も弁護人として付き合っていると、分かってくることがある。
そういうものがあるということ自体、官僚裁判官には理解できていないし、「法廷に提出できない弁護人の力量不足」で片づけられてしまう。

黙ることは抵抗ではない。
好意を示すために、黙るしかないことだってあるのだ。

2008年08月26日

ナベアツ

山谷の要保護者の簡易宿泊所を訪れたあと、町田警察署に接見に行ったのですが、ナビに従って行ったら甲州街道から細い道に入り、世田谷通りを通るなど、えらく時間がかかる道を選ばれてしまいました。
帰りは、国道246号で帰ったのですが、30分ちょっとで東京まで着きました。
鈴木君「なんで246こんなにすいているんだろうね」
僕「みんなアホになりたくないからじゃない?」

2008年08月27日

法の番人に気をつけろ

司法試験の合格者が倍増し、大学生でも間違えんぞという間違いをして司法研修所の卒業試験に不合格になる司法試験合格者がいるなか、いまだ、弁護士の敷居はたかいみたい、です。

脱線しますけど、法律上、動産は手に入ると思って買えば売主が偽者でも手に入るのです(即時取得といいます。)。
これに対し、不動産の場合ちゃんと登記という制度があるので、売主が他人の土地を売ったとしても、その他人の土地を買った人が他人の土地の所有者になることはできません。不動産では即時取得はできないからですが、考えてみれば当たり前ですね。

しかーし、この場合のように、不動産でも即時取得するという答案を書いた人間が去年は複数いたと。
弁護士1年生のレベルはどんどん落ちてます。

話を元に戻して、で、ある事件の相談者が、離婚の経験者なのですが、
       調停離婚は弁護士費用高いですよねー
と振ってきました。
       ?
です。調停しなきゃ離婚できませんし。
 もちろん、調停をご自分でなさって不成立になり、その後の訴訟だけから受任した場合に比べれば、値段に差は当然つけますが、それでも普通は30万円くらい。
       調停30万円 
       離婚訴訟30万円
       報酬30万円
くらいが相場ですよと言うと、驚いてました。

 なんと、その人は弁護士になんだかんだ言われて400万円も取られたのだと。

 しかも、最後に驚いたのは、
       事件の記録は3年間保管してあげられることになっているから保管料100万円持ってきなさい
 と弁護士が言ったとのこと
       事件の記録は3年間保管してあげられる
のではなくて
       事件の記録は3年間保管しなければならない
のであって、弁護士の義務なのです。
 そこで金を取るなんて、頭いいというかなんというか、風呂場にあふれかえる記録を見ながら複雑な心境でした。

 ひどい弁護士がいるもんだから、敷居が高くなっちゃうんですよね。

2008年08月28日

ぼくたちの7時間戦争

どうしても今日中に相談がしたい、という依頼があり、夜の23時30分から相談を受けました。
その人は道路での露店を営んでおり、従業員が、何の警告もなしに、いきなり逮捕されてしまったと。

許可を得ずに道路で店を開く行為は、道路交通法で3月以下の懲役または5万円以下の罰金と定められており、急ブレーキの禁止と同じ法定刑の、はっきりいって微罪です。
ふつうは、何度か警告があり、それに従わないときに逮捕されるのが通例だそうなのですが。

また、その場所には数軒の露店が出ており、一斉摘発ならまだ理解できますが、その人だけが逮捕されたそうなのです。
早速夜中の0時過ぎに警察に行って弁護人選任届をとりました。
本人いわく、翌日裁判所に呼ばれていて、勾留質問だとか。
勾留質問の結果逃亡・証拠隠滅のおそれありと判断されれば、10日間勾留されてしまいます。

翌日朝10時から、戦争は始りました。
まず東京地裁令状部(刑事14部)に電話をかけ、被疑者との面接前に勾留担当裁判官との面接を約束しました。
そして、話し合いをしたところ、
         
・裁判官もぶっちゃけ勾留の必要性に疑問を感じないではないが、いままで10回以上も交通違反での呼び出しに応じておらず、逃亡の恐れを否定できない
・警察からの呼び出しに必ず出頭させるという身柄引き受け人がいれば、勾留しないとの決定も考える
・しかし記録を見ると父親はほとんど中国にいるらしく身柄を引き受けられないのではないか

ということでした。
裁判官に携帯電話の番号を教え、お互い裁判の合間に連絡を密に取り合うことを約束しました。
早速本人と面会して聞いたところ、1回はたしかに出頭しなかったが、理由は警察に電話したとのこと、あとは引っ越しの際にまぎれたのではないかということ、母親の携帯と彼女の携帯は分かるが父の携帯は自分の携帯のメモリを見ないとわからないこと、などを言っていました。
まずは以上のことを裁判官に報告。

そしてひたすら母親に電話するも、出ず。
彼女に電話するも、父親の連絡先は分からず、周囲の人にあたってみるとのこと
雇い主は履歴書も何も貰わずに雇ったのでわからないとのこと
警察署に携帯電話の引き渡しを求めるも、本人からの依頼が必要なので翌日以降になるとのこと

裁判官に報告し、彼女が身元を引き受けるのではだめかと聞いたら、しばらく検討のうえ、駄目だとの返事。

その後、裁判官から、本人と面会した結果、父親は一か月の半分以上は日本に住んでいるようなので、母親がだめなら父親が身元を引き受ける旨裁判所に電話を一本入れれば釈放すると言われました。
しかし、その父親の電話番号がわからない、と報告
裁判官からも、警察署に父親の電話番号を調べて報告するよう照会をかけてくれました。

裁判官からは、14時50分までに連絡が取れなければ勾留するので、そのあと連絡をとって準抗告で勾留取り消しを請求するように、と期限が区切られました。
でもなにも手を出せないまま、タイムアウト。

と思っていたら裁判官から携帯に電話があり、警察から父親の電話番号の回答があり、父親と連絡が取れたので釈放するということでした。
午後17時

裁判官と20回以上にわたり連絡をとりあった「戦争」は、検察官の勾留請求却下という勝利で「終戦」しました。

            

2008年08月29日

十代に罪はない

小学生になるうちの子供は、飛行機に乗って旅行するのが大好きだ。
だから、1985年8月12日に起きたことを、知っておいてほしい、感じておいてほしいと思った。
自由研究の課題も進まないと聞いていたし、そもそも何かを勉強することよりも何かを感じることを大事にする大人になってほしいと、思っている。
うちの子供は映画館も好きなので、ちょっと2年生には難しいけれども、クライマーズ・ハイを一緒に見ようと、映画館に連れて行った。
崖の上のポニョは、悪いがスルーさせてもらう。

8時55分開演、ご飯を食べる時間はある。
そして11時30分終演。たぶん、インパクトのある場面を見た後は、寝ているだろう。
興奮して眠れないような、感受性の豊かな子供であってくれたらいいけれど。

そう思っていたら、なんといまや、東京都の条例で、未成年者は23時以降外出禁止と決まっているそうなのだ。
だから23時を過ぎる映画の小人券は売れないし、大人券を買ったとしても入場もさせられないと、映画館の人は言う。
さすがの僕も、うちの子供は20歳だと言い張るのは、ちょっとだけ、きつい。

高校生がセンター街あたりをたむろす姿は、昔話なのですか?

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